栗東の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

滋賀県栗東市歴史探訪
栗東市の概要
滋賀県の南部に位置し、市の北部は平坦地、南部は緑豊かな山地となっています。国道1号・8号の通過、名神高速道路栗東インターチェンジの設置など、交通の要所として、製造業・商業・流通業など数多くの企業が立地しています。 また平成3年(1991)にJR琵琶湖線栗東駅が開設されたことにより、京阪神への通勤圏となり、大規模な住宅整備が進み、人口増加が続いています。 そして現在、「夢と活力あふれる ふれあい都市 栗東」の実現に向け、まちづくりを進めています。

栗東のあゆみ
原始時代(紀元前4千年頃)、栗東には既に人びとが生活を営んでいました。栗東市にある下鈎(しもまがり)遺跡はそのころに造られたそうです。そのほか、霊仙寺・狐塚(安養寺地先)・野尻など、縄文時代からの遺跡も発見されています。

弥生時代、栗東では県下で最も早い時期に稲作が行われ始めました。それを証明する遺跡の一つが霊仙寺遺跡です。このほか弥生時代の代表的な遺跡として、中沢遺跡や小柿遺跡などが知られています。

平安時代には荘園が発達し、栗東には延暦寺を中心とする天台宗系寺院の荘園が集中することになりました。また、平安期には、それまで禁止されていた僧の山林修業が解禁され、次々と入山修業をはじめる僧が現われました。興福寺の僧願安もその一人です。彼は金勝山に入り、弘仁年間(810〜824)に国家安寧を祈願して金勝寺の伽藍を建立したといわれています。 その後、金勝寺を中心に花開いた栗東の仏教文化は、現在に残される狛坂(こまさか)廃寺の巨大な磨崖仏(まがいぶつ)や金胎寺阿弥陀如来像、善勝寺千手観音菩薩像などで垣間見ることができます。

鎌倉時代には、地頭による荘園への進出が相次ぎ、荘民は領家と地頭の二重支配を受け苦しむことになりました。しかし、鎌倉前期の栗太郡北部の荘民たちには、まだ荘園への地頭進出を拒む力が残っていました。この地の領家・領民は延暦寺を通じて当時の地頭・佐々木信綱の地頭職停止を天皇に嘆願し、寛喜元年(1229)、幕府はこれを認めました。

室町時代に入ると、南北朝の対立は一層激しさを増しまし、守山で行われた南朝方と京極道誉の合戦では、栗太郡の半分が灰と化したといわれています。そうした中、足利尊氏・義詮(よしあきら)が金勝寺で戦勝祈願の祈祷を行ったそうです。

やがて近代に入り、合併・吸収を重ねて栗東町となります。そして平成13年(2001)、市制施行により今の栗東市が誕生しました。

栗東の名前の由来
栗東市の由来は、栗太郡(くりたぐん)の東にあることから名づけられました。


栗東の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
栗東歴史民俗博物館
住所: 〒520−3016
滋賀県栗東市小野223-8 [地図を見る]
電話番号: 077-554-2733
開館時間: 9:30〜17:00
(入館は16:30まで)
休館日: 月曜日(ただし祝日と重なる場合は開館)
祝翌日(ただし土・日曜日、祝日と重なる場合は開館)
年始年末(12月28日〜1月4日)
入館料: 大人 200円
高大生 150円
小中生 100円
※20名以上の団体は各50円引き







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